洗礼の白い衣を保ちなさい


南米チリ。1891年5月24日。ラウラ・デル・カルメン・ビクーニャの洗礼式が行われた。
当時生まれてすぐ洗礼を授けるのが慣例でありながら、
ラウラの誕生から洗礼は1ヶ月半も経っていた。
当時政情不安定な中で、ビクーニャ家が非常に危うい立場であったがために。

ラウラの父は ホセ・ドミンゴ・ビクーニャ。母は、メルセデス。
2人の間には大きな身分の隔たりがあった。名門ビクーニャ家のホセと、
ただの農家の娘、メルセデス・ピーノ。
その差は歴然だった。誰が許してくれようか…。
それでも2人は幸せだった。
革命が、サンディアゴに襲い掛かるまでは…。

サンディアゴは革命のために火の海と化し、
旧政府側の人間は革命勢力から逃れるためにこぞってサンディアゴを後にした。
ホセもメルセデスも、サンディアゴから脱出し、500キロ南、テムコへと移り住んだ。
そこでの不安な暮らしの中、ラウラの妹、フリア・アマンディナが誕生し一家に小さな光がさした。
…と思ったのもつかの間、一家の大黒柱であるホセが、肺炎にかかり3人の家族を残し帰天。
残されたメルセデスは2人の幼い娘を抱えて、行く当てもなく、頼る人も無くたった一人で娘たちを守った。
…そんなメルセデスに向けられる目は「好奇」の目。
逃げるようにメルセデスは娘を抱え、アンデスを超えると言う大冒険に出た。
娘を守らなければ。自分を守らなければ。生きていかなければ。その思いだけで。
ノルクィンを経て、自然の厳しさと戦いながらラス・ラハスで、
メルセデスはたった一人で娘たちを育て続け…

そこに現れたのが、マヌエル・モーラだった。
まだ若く、美しさを持つメルセデス。「ビクーニャ」の名前が語る、彼女の悲運。
モーラはメルセデスに、狙いを定めた。
2人の娘と共に、自分の持つ農場、キルキウエで家政婦として働いてほしい。
それは同時に彼の庇護をも、メルセデスに約束するものだった。
疲れ切っていたメルセデスはその申し出を受け、キルキウエへ向かう。

何が待ち受けているかも知らずに。

そしてモーラは、まだ幼いラウラを見て、「美しい子だね」とあごに手をかける。
まだ悲劇は、始まってはいない。だがラウラはモーラが好きではなかった。
しかし、ラウラの意に反して、疲れ切っていたメルセデスは次第にモーラに傾き、
その庇護の下で、モーラの内縁の妻として生きることをよしとし始める。
すべてはこれで楽になるのだ。よいではないか。ひとりで2人の娘を守り続けてきたのだ。
それがすべての始まりだった。

        


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