第5章 覚悟


あの稽古の日からすでに数週間が過ぎた。そろそろ「ハムレット」の初日が幕を開ける。
私は、あれ以来まともにアンドリューを見ることができずにいた。
見ることができない、というのは正確ではない。正確に言えば、正視することができないのだ。
さすがにマネージャーとしての仕事に影響をきたすようなことはない。
私が彼を見られないのは、ハムレットの稽古中だけだ。

あの台詞回し。あの声音。あの威厳。そして、あの…。

思い出したとたんに眩暈がして、私は椅子にわが身を投げ出した。

―っ…!

空咳を繰り返して、ふと最近の自分のことを考えてみると、疲れても無理はない。
けれど。…自分で自分の身体はわかっているつもりだ。

ぐったりと自分を椅子に預けて私はまぶたの裏に、その人を思い描いた。
忘れようのない、そのすべてを、またひとつ、ひとつなぞっていった。
どんなに笑いにあふれていたか。どんなに明るく、温かく、喜びに満ちていたか。
そして。あの日から、あの約束だけを私は信じて、どれだけ経ったのか。
あれからどんなことがあったのか。
最近よくこうして、たゆたう時を、なぞっては自分に確かめる日々が続いている。
いつものように私の手の中で、アイリスのヘアピンがきらり、と光っている。

あれ以来私はアンドリューの部屋に行っていない。
何度か誘われたし、何度か用事もあったのだが行かずに済ませている。
…自分に、用意がなかった。
今更どうしようというのだ。今更何を確かめるというのだ。
私の頭の中には、そればかりが回っていた。

そんな私の生活の外で、月日は流れていく。
アンドリューの立ち稽古も仕上げの段階になり、よりアンドリューが磨きをかけられていく。
最後の調整に入り、色々なスタッフが出入りをし、初日が近づいて独特の雰囲気をかもし出す。
私は相変わらず「声だけ」を聞きながら、これが終わったら、マネージャーを辞めようと思っていた。
私がいなくても、もうこの子は立派にひとりでやっていける。
私がいなくても、もう大丈夫だ。
そして…これから先、私は、この子と長くはいられないだろうから。

私にとって、アンドリューとの最後の初日が迫っていた。


          


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