主に引き寄せられて…

〜この道を行こう…

高校の2年生の時だった。家庭科で「なんでもいいから興味のあるものを調べろ」といわれた
興味のあるものあるものあるもの…?????
私の興味のある「家庭科」のもの?料理、縫い物、編物、お衣装のこと??

(笑)どう考えても、しっくりこなかった。当たり前だけど
今考えてみたら、服飾の歴史、とかいうのもけっこう好きだったんだけど
例えば「マンガに見る服飾の歴史」とか(笑)
でもそこで、神様は私に不思議な業をなさり、私の進む道に顔を向けてくださった。

きっと、ドアまでは辿り着いたもののさてそこからどうしようか、
そう思い悩み一向に進まない私に、もうひとつヒントをあげよう、と思われたのだろう
何の気なしにぼんやりと見ていた図書館の本棚に見つけた
「子供の権利条約」の薄っぺらい、絵本並に大きな本。
この1冊が、私の「ドアを開ける鍵」になった

飢えた子供。搾取されている子供。学校を知らず、働かされて、
自分達に生きていくための楽しみや権利があることも知らず
治るはずの病気にかかってしんでいく子供。
かたや勉強に追われ、子供であるべき時期を奪われていく子供。

なぜか不思議に憤りを感じていった
こんなの、違うよ!
そして…思った。どれだけの人が、この「子供の権利条約」を知っているだろう
どれだけの人が、子供には子供として生きるための権利があると考えているだろう
権利があれば義務がある。そう言うのだったら?
子供には未来を担う義務がある。よりよい未来を作る義務があるのだ
この世界を支えていくのは子供たちなのだ、未来を担っていくのは子供たちなのだ
今この子供達を不当に搾取したら、子供達が大人になった時、同じことを繰り返すに違いない。
今私たちが教育を受けているのは、私たちの両親が「教育」を財産と考えているからなのだ
…何か怒りが込み上げてきた。

私に、何ができる?

知りたかった。まず…この権利条約を正しく理解して、みんなに知ってもらおう。そこからだ。
子供の権利を、生命を、守るために私にできること。

その時にふと思ったこと。
「主は私に修道女としてでなく、「マザーのやり方」でなく、主のご計画のままに私を使いたいのだ」
そう。大海の1滴…マザーが言うように、ひとりひとりがすることは大海の1滴にすぎないが
それが集まって、海はできているのだ…
私の道は、決まった。
この道を歩いていくことだ…と

主は人の想像をはるかに越えたご計画を持っていらっしゃるということ

それを、初めて知ったようなものだった
そのとき私は何も考えず「子供を助けたい」それだけだったが
そこから思いが広がり、具体的な目標が広がり・・・

そして、「教育」に行き着いた私は、殆どの高校3年生と同じく「受験」の時期を迎え
目標こそうしなわなかったものの、Name Valueに踊って「やりたいことができる」大学ではない大学
を目指していた
結果として今の大学に収まったのだけれど、その前にその「目指した」大学の失敗があって
そのとき私の当時のフランス語の先生の一言が私に大学を決めさせた。
入ってみると、指導教官はカトリック。そして、私の「やろう」と思っていることをそれこそ専門に研究していた
留学したかった大学の卒業生がいたり、何かと偶然が重なって
私の行く道を照らしてくれた

偶然は必然 起こるべくして起こるもの

だとするならば私の進んでいるこの道は間違いなどでは決してないのだ
そう確信しながらこれが私の歩むべき道だという道しるべをたどりながら
私は今まで歩いてきている
主が私に望むこと それがこの道なのだと

時として神様は 私たちには想像もつかないことをなさる。
偶然のように道を示してくださり どんなに離れても手を取って連れ戻してくださる
今まで何かに成りたいと思ってもずっと長く続かなかった
それが。今になっても「基本」が変わることなく、そして「これでいい」という確かな確信のもとに歩いてる。

この道を行こう このまま主が手を引いてくださる限りこの道を行こう

私の決意は今も変わることがない


        


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