マザーとの出会い・歩み


-This Gift of Peace...-

<出会い>

マザー・テレサに出会ったのは高2になる春のことだった。

当時ESS(English Speaking Society)に入ったばかりだった私はUNION(全国ESS連盟)主催の、春のスピーチコンテストに、朗読部門で出てはどうかという打診をされたのだ。
お題はリンカーン大統領の、「ゲティスバーグの演説」、マーティン・ルーサー・キングJr.の「I have a dream」、そしてマザー・テレサのノーベル平和賞受賞時の「This Gift of Peace」。迷わずに選んだのが、マザーの、この演説だった。これが、私のこれからの道を決める、大きな大きな転機になるとは、考えもしなかったが、ただ「カトリックだから」というそれだけで、迷うことはなくこの題材を選んだ。マザーのことを何も知らなかった私が、なぜそう思ったのか、カトリックであると知りえたのか。それは未だに謎でしかない。まさに「導き」としか。

役者根性が入っている(というかガラスの仮面にはまっていた?(笑))私は、朗読であってもそれはその人の生き様、背景を知っていて初めて喋れる、口から出る言葉であると思っていた。だから、テキストを覚える前に、徹底的にマザーテレサとは何者なのか。と調べ始めたのだ。そして。調べるうちに、私の中に燃え盛る炎に気付かされて行ったのだ。ああ。ここに「愛」がある。と。その生き方が、私を変えていくのにそう時間はかからなかった。「私を平和の道具に。」というアシジの聖フランシスコの祈りが、心に痛いほど突き刺さるようになり、私の心にI THIRSTという、キリストの叫びが響き始めていた。私の信仰を呼び覚まし、主は私をマザーという模範にお預けになり、育て始められた。時が、来たのだ。マザーの「すべての人の中に主を見て、すべての人の中におられるキリストに奉仕する」という言葉が心の中でぐるぐると回り始めた。

光が見えた。

その時そう思った。私の目指す道が、はっきりと形作られ始めて行った。


<マザーのように>
スピコンが終わり、それでも私のマザーを知りたいという気持ちはなくなるどころか却ってそこに拍車がかかっていった。この道を歩いて行きたい。この道を、私も歩みたい。この光を追って、私も「仕える」人になりたい。「人の子は、仕えられるためでなく仕えるために来たのである」という言葉に倣いたい。その想いが頭をもたげてきた。

でも、そこから先、私はどうやって進んで行ったら良いのか分からなかった。実際に私は未信者だし、修道女にはなれない。召しだしがあるのかどうかも分からない。でも、日々の生活でマザーの気持ちを生きることはできるはずだ。と、必死になって本を読んでみたり、今まではあまりしたことのない「カトリックの本」、を読んでみるということを始めていった。アシジの聖フランシスコの祈りを憶えてみたり、ロザリオの祈りとはどういうものかを調べてみたり(今になってみると…3歳からの14年間、知らなかったことのほうが不思議だ(笑))。いわゆる「霊的生活」というやつに憧れて浸っていたりした。

転機が訪れるのはその半年後。

家庭科の課題で出されたレポートの題材に困り、図書室をうろついていた時に、また、なぜかは憶えていないのだが手に取った「子どもの権利条約」の本。いや、薄っぺらくて、絵本みたいに大きくて、だったからなのかもしれないが(笑)これが私の「道」を決定付ける。シュシュバワンの子どもたちの写真が目に焼きついて離れない時期でもあったし、特に児童労働で取り上げられていたのがインドだったというのも、あるのかもしれないが。

マザーの気持ち。これを自分の中で自分に取り込んで、そしてそれを「どうやって」私らしく表現し、私の方法で実現していくのか。マザーのように「仕えるひと」になりたい。という私の思いは、ベクトルを定め、ゆっくりと伸びて行った。


<リジューの聖テレーズの娘として…そして今>
マザーテレサの本を読み出して暫く経ってから、マザーの「テレサ」が、リジューの聖テレーズ、という人だということを知ったが、それはすっかり忘れてしまっていた。そのころ私は、「わがテレーズ、愛の成長」という本を探していた。それを偶然見つけたのが高校3年生の時だった。そして、そこでそのマザーの「テレサ」が「リジューの聖テレーズ」という人が、この、私が探していた本の聖女であったと初めて知った。どこまで偶然なのか(汗)と正直驚いたり、焦ったり。神様のご計画はどこまで予測不可能なのだ(苦笑)と。私は偶然にも「マザーのようになりたい」と思い、「リジューの聖テレーズ」を求めていたのだ。

ふたりの「テレジア」によって私はここまで導かれてきたといえる。マザーのような道を歩きたいと思ってきた私が今また、聖テレーズの小さな道を求めている。むしろ聖テレーズの道を、マザーのような歩き方で歩みたい。(笑)非常に僭越ながら、リジューの聖女に共に憧れたものとして、リジューの聖テレーズの娘として、マザーと共に歩んで行きたい。それが今の私を歩かせている。

ロンドンで、神の愛の宣教者会のボランティアに友人と参加したことがあった。12月、クリスマス前。パーソナルなことではあるけれどもその頃自分自身が辛くて痛くて、救ってほしくて、修道院を訪ねた。まったく他の家々と変わりのない中にその修道院はあった。塀があるわけでもなく、看板が出ているわけでもない。ただ、マリア像だけが修道院らしいものだった。そこでボランティアに参加したいと伝えて日時と場所だけを教えられ、その日、私は出かけた。ホームレスの人々への食事の給仕。忙しかったし、洗い物はけっこう大変だったのに、なぜか幸せだった。言葉にできないくらい幸せだった。あの日から私は立ち直り始めたのだと、思う。

あの日。マザーが亡くなった日。私の日記にはヒトコト、精神的指導者をなくしたと書かれている。でも。でもでも。マザーがそうであったように、私の指導者は主イエス。聖テレーズの浄配がそうであったように、私の手を引くのは彼なのだ。

志願者になりたい、そう思ったり、あまりのその時の幸せから召しだしを考えたこともあった。けれども、修道者の生き方は、修道者にならなくてもできる。そしてリジューの聖テレーズが私をマザーに繋いでくださっている。そう信じて、再び自分の召し出しを歩き出すことができ始めていると思いたい(笑)


    


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