1891年 | ・4月5日 ラウラ・デル・カルメン誕生。チリの名門ビクーニャ家の長女としてチリのサンディアゴで生まれる ・5月24日 受洗 ・チリの革命により、ビクーニャ家はサンディアゴを脱出 |
1894年 | ・亡命先のテムコにて、妹フリア・アマンディナ誕生 ・父 ホセ・ビクーニャ病死 |
1899年 | ・母メルセデス、娘2人と共にアルゼンチンに移住した後、農場主、マヌエル・モーラの庇護を受けキルキウエに移り住む。 |
1900年 | ・ラウラとアマンディナはフニン・ロス・アンデスに開設した、扶助者聖母会の寄宿学校に入る |
1901年 | ・ラウラ初聖体 ・12月8日「扶助者聖母の子供会」入会 |
1902年 | ・マヌエル・モーラからの援助が打ち切られるも、給費生として学院に残ることとなる。 ・復活祭にカリエロ司教より堅信の秘蹟を受ける。同時にこの時、修道女となる望みを絶たれるが、「修道服が人を修道者にするのではない」ことを悟り、密かに誓願を立てる。 ・復活祭第2主日に母の回心のために 命をささげる誓いを立てる |
1903年 | ・6月に発病し退学する。母メルセデスと共にキルキウエからフニンへ再び移り住む |
1904年 | ・クリスタネッロ神父はじめ、すべての指導者を失い、最後に母に罪の清算を嘆願し、自分の病気の原因の秘密を明かし、メルセデスはその嘆願を承諾。 ・1月22日、ラウラ帰天(12歳9ヶ月)翌23日死者のミサ。 母メルセデス、回心後初めての秘蹟を受ける |
1955年 | ・12月ラウラの列福調査開始 |
1956年 | ・3月3日 ラウラの遺骸がバイア・ブランカの扶助者聖母会の聖堂に移される |
1986年 | ・ラウラ 「尊者」の称号を受ける |
1988年 | ・9月3日 イタリアのベッキにおいて、教皇ヨハネ・パウロ2世より「福者」にあげられる |
(参考文献:やなぎやけいこ 著「アンデスの天使ー12歳の福者ー」ドン・ボスコ社1988年)