Xとの出会い


実は、このMusic Roomに挙げている中で、一番ながくFanをやっているのが、XJapanなのだ。
Princeのサイトから始まっただけに、そっちの方が長いと思っている人も多いみたいだが、
実はXだったのだ(笑)

Xとの出会いは、あまりに強烈なジャブだった(笑)
まだX Japanになる前。heathが加入する前だから、もう10年以上前。
Toshiも、Pataちゃんも、まだ頭がおっ立っていた。
紅白歌合戦で出てきた彼らを見て、私が言ったヒトコト。

「何…?とうもろこし頭じゃん」

…今から思えば笑い話だ(笑)まさかこの発言をした私が、
何年かの歳月を経て、こんなファンになろうとは予想もしなかったに違いない。

次の出会いは、Forever Loveである。
…なんとまぁ…時間が経ちすぎていた。
この数ヵ月後、かなり悔やんだことを今でも憶えている。
父が好きだったので、ちょうど予備校で通っていた御茶ノ水(爆)の夏期講習だったかの帰り、
ピアノ譜を買って帰ったのがことの始まりである。
…当然私はXには「とうもろこし頭」の記憶しかない。歌声なんて全く記憶に「ない」のである。
したがって、その時もそれ「だけ」のことだった。
歌は…綺麗だなあとだけ。その後知ったのだが、父はこのころ…DAHLIAを買っていた。
Xの最後の新作のアルバムである。

そして。忘れもしない1997年12月31日。
Xの解散ライブの日。
私は、初めてXのライブを見た。いや「見てしまった」と言った方が正しい。
…打ちのめされてしまったのである。
なんで知らなかったんだろう?なんで、もっと前に曲を聴かなかったのだろう?
後悔の嵐は止むことがなかった。
まったく知らなかったわけではなく、メンバー全員の名前と、顔と、曲名いくつかは知っていた。
しかし…。Endless RainのHideの表情に思わず涙し、おろおろとリビングと部屋を行き来した。
当時私は受験生だっただけに、最後の追い込みで必死だったのだ…。

しかし、最後まで見ることは許されず、紅白のForever Loveの時にリビングに駆けつけ、泣いた。

天は私に味方した!と思ったのは3月の再放送のとき。
大学に受かったことが分かって以来、ESSのドラフェス(英語劇大会)の練習中も、
出来る限りの時間をXに割いた。
そして、なんと、ノンストップで、ノーカットのライブが放映された。
わずか2ヶ月でほぼ全曲歌えるようになっていた私は、
改めてそのライブに画面越しに酔いしれ、涙し、たとえ解散してもファンになろう。と思った
(というよりなっていた(爆))

そして、そのわずか2ヵ月後。

hideが逝ってしまった。

ひとりで、逝ってしまった。

色々な報道がされた。人は色々騒いだ。
私には、共に悲しみを分かち合ってくれるファン仲間は、いなかった。
今同じアーティストを好きな仲間の輪があると、できるだけ大事にしたいと思う。
それはやっぱりこのときの気持ちが、大きい。
せめて見送りにだけ。そう思っても、「馬鹿なことを」と言われ、
やめてしまった。
YOSHIKIを始めとする、他のメンバーの顔が痛々しかった。
1ヶ月ほどものが手につかなかった。試験期間だと言うのに。
受験でできなくなっていたダンスを再開したこともあったが、
その練習に追いつくだけ食べれず、体重が落ちた。
四十九日前1週間は黒服で通した。
せめてもの気持ちだった。

YOSHIKIの復帰と心の回復を願い、TOSHIの変化に戸惑い、
PATAちゃんとheathのニュースを時折目にして喜び。
仲間は誰もいなかっただけに、ちょっとファンの人がいると本当に嬉しかった。
Xのクラシック性、YOSHIKIの創り出すRockとClassicの融合の美しさ。
YOSHKI以外のメンバーが時折創る曲の激しさと個性。
そんな波にもまれながら、泳ぎ続けていた。

そして、Art of Lifeに出会った。
DAHLIAと同じ頃に録音された曲。レビューで書くつもりなので、詳しく書かないけれど、
YOSHIKIの想いが流れ込んできて、痛かった。苦しかった。
少しずつ、少しずつ活動を再開していくYOSHIKIをネット上で見たり、
或いはインタビューCDを聞き、そして、再び今globeという場で動き始めるYOSHIKI。

彼はこう言った。

僕は、今でもX Japan のYOSHIKIです。

きっと、他のメンバーの心の中でもXは動き続けているのだと思う。
TOSHIもPataちゃんも、Heathも、そして、hideちゃんも。

だから、途中で止まることなくXのファンでいたい、そう思う。



     


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