I'm here cuz I am


光が落ちていることに気付いてピアノを弾く手を止めた。空にはすでに月が上っている。
月明かりが手元をほのかに照らし、白鍵に私の影が落ちていた。
部屋の空気がふと軽くなる。今まで旋律が部屋を占めていたのが突然、夜気が入り込んできたからだろう。
群青色の夜空。今日は空気が澄んでいるのだということをその美しさが物語る。
なぞり続けてきたOne Nite Aloneの音が、今は私に絡み付いてくる。
さっきまでは私を引っ張るように振り返るように私の先を歩いていたのに、今は私に絡みつく。
その音につられるように、座る人のない椅子をふと振り返った。
窓際に置かれた椅子。その先には窓の向こうの空が広がっている。

時折迷い込むラビュリントスは、私を果てることのない旅へと連れ出すかのように終わりがない。
ラビュリントス、といえば聞こえは良いけれど結局どこかでミノタウロスが待っているのだろう。
私は女性だから王の娘は助けてはくれまい。
もっとも、ミノア王国はヘラクレスのかわりに誰かをミノタウロスにやらねばならなかったのだろうから、
その「誰か」にとっては、迷惑極まりない話だろうが。

ゆっくりとピアノの椅子を半回転させて、その空の椅子と、その向こうに広がる宇宙とに向かい合った。
空にはたくさんの星がある。いや「あるはずだ」といった方が正しいのかもしれない。
都会の空気はどんなに澄んでいたとしてもよどみがあることに変わりはない。
そのよどみはその「煙幕」の向こうの小さな光を放つ星々の精一杯の光を消し去ってしまう。
あるいはあまりに遠いがゆえに、光を届かないようにしてしまうのだ。
時には太陽ですら隠してその光を弱めてしまうように。
だったらそういう星々の光を隠してしまうことくらい、日常茶飯事のことだろう。

都会には星が少ないね。その代わり、人工の星がたくさんあるのかね。

星を作り出すことなどできるはずがないのに、人は手近なところに星を作り出すのだろう。
消し去られてしまった星だけでなく、その「煙幕」の向こうから光を届けてくる星すら、
その「ホシ」のせいで光を弱められてしまう。遠いから、遠いから。
人の目を近くの星はくらませてしまうのだろう。
そしてその光を忘れてしまうのだろう。
そして手元が暗くなった時、その暗さに惑わされて空を見上げることをしなくなるのだろう。
だから「暗い」と言って嘆くのだ。見上げればそこには星があるのに。
自分から灯りをつけることも、自分から探しに行くことも
そして…羽ばたこうとすることも忘れて。

たとえ雲が太陽をおおいつくしたとしても
鷲の雛は、雲の向こうに太陽があることを信じているし忘れない。
たとえ飛ぶことが出来なくても
鷲の雛は、雲の向こうの太陽を見つめ続けて、いつかそこに行けると信じている。

ねえ、私は鷲の雛に なれるだろうか。

空の椅子は返事を返してはくれなかった。ぽっかり空いた空間がそこにあった。
座るもののない椅子に夜の闇がくつろいでいた。
外へと続く窓に椅子の影が映し出されている。
私はそこから目をはずしてとうとうと流れる澄んだ時の流れを見上げた。
光の速さで何万年のかなたから流れ来るメレダイヤのような輝きと対峙した。
都会の煙幕をくぐり抜けてここに辿り着いた光のきらめきのいくつもが目に入る。
でも彼らはまだ「硝子」という障壁に阻まれている。
その障壁を取り除くには窓を開けなければいけない…寒いだろうなぁ…。

そんなことを考えながらぼんやりと、まだピアノの前で
空の椅子と、その向こうの宇宙を見せる窓と向かい合っていた。

ねえ、私は鷲の雛に なれるだろうか。

今度は私自身に尋ねてみた。当たり前だけれど返事はなかった。
その代わりに、月が一瞬ちぎれ雲に隠れたのか、手元を照らしていた月明かりが途絶えた。
ぼんやりとした白鍵が浮かび上がって、窓越しに月で消されていた星が見えていた。
それに気付いた途端 また青白い月が顔を見せた。

私は心の中でOne Nite Alone の旋律を奏でながらゆっくりと窓に近づいた。
空の椅子を占める闇の帳にピアノの上にあったシロツメクサの花かごの中身をそっと空けて
約束の花束を見つめて、つぃ、と前を向いた。
部屋の中の闇を大きく吐き出しながら、両手で窓を向こうへと押しやった。

すぃ、と限りない宇宙に飲み込まれそうになって慌てて手すりに捕まる。
頭をその風から避けて後ろを向いた途端にシロツメクサが目に痛い。

ワタシヲ オモッテ

私は前を向く。見上げる先には、何にも阻まれない夜空が
見えない星たちが。

I'm here because I am.

     


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