独白

それは砂糖がとろけるやうに悲しいことではあるけれども
檸檬のやうに 鮮やかに爽やかなものでもあるやうに過ぎゆくものなので
いつかきっと 蒼いまあるい耳飾りを思ひ出すことが
あったとしても 目の前の「宝箱」を開けるやうなわけにはいかないのだ。
その蒼いまあるい冷たい月は どこかへ沈んでしまったやうだから
思ひ出しても 無駄なのだから。

時折、時が怠慢にもその流れを止めるときがあったとしても
それは別段錐のように鋭いものだと言ふわけでもなく
寧ろ霧のやうにもやもやとして居るわけだから
まるで肺の中に水がいっぱいになってしまったやうな気持ちなのだ
それでなければ空気がまるで 水かもっと重いゼリイのやうになって
私が吸おうとして居る空気を 取り上げてしまったかのやうなのだ。
あゝ それで居ながら私は その胸苦しさを悲しいとは
思って居ないのだ。

私は蒼い月は好きではないやうだ。
冷たくて なぜだか温かくないやうに思うのだ。
望月は欠けることがないと言ふが 望月になるためには
欠けて居なくてはなれないのだから
そして望月はただ1日きりしか 満ちては居ないのだから。
だから蒼い満月よりも 檸檬のやうな欠けた月の方が
私は好きなやうだ。

時が過ぎていくのを 砂が零れ落ちたる様や蝋燭の燃え尽きる様で
遙かな人々が 表したと言ふけれども
時が過ぎ去って行くのは そんなに悲しいことではないやうだ
砂が零れ落ちたり 蝋燭が燃え尽きたり
そのやうに ものが無くなっていくことの繰り返しで
時が過ぎていくのではないやうに 時が過ぎていくのは
炭酸の抜けた ソオダのやうに
あるいは 漬けて年月の経った果実酒のやうに
刺激を和らげたり 味を深めたり
そのやうなものであるらしいのだと 思ふのだけれども。

人工的な真っ白なライトに照らされて居る マリア庭園の像は
なんだかとても 居心地が悪そうに見えるのだけれども
それは先程までの ゼリイの空気がここまで来て居るからなのかも知れない。
でも私はその胸苦しさが 嫌いではないのだから
あそこに居るマリア様もきっと この空気がお嫌いでは無いだらう。
そう思って見ていると 自転車の鍵を外すやうな音がして
檸檬のやうにさわやかに 風が吹き抜けていったやうだ
それはとても鮮やかで 爽やかで
砂糖がとろけるやうに悲しいことではあるけれども
甘酸っぱいそれは とても印象的で珍しいことでもあったのだ。

見上げた月は 黄色い大きなまあるい満月であった

   


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